りーにえんしーの闇鍋ブログ

書いている本人もよくわかっていないブログです。

可処分時間

一昨日、久しぶりに深夜散歩をした。

特に意味もなく、目的地も決めず、気の向くままに何処かに行こう、というノリで深夜散歩には行っている。今回は久しぶり、というより久しぶり過ぎたからなのか、その時の自分の中に変なノリがあったからなのか、当初は池袋か、それよりも少し先にあるところ程度までにしようと思っていたのだが、どうしてかさいたま市まで行ってしまった。Google先生曰く、家からさいたま市までは片道28kmらしい。

これだけ長距離を歩いたのは本当に久しぶり、ということもあって、通常よりも早い段階で足に痛みがやってきた。しかも、普段の散歩やウォーキングでも痛むことの無い股関節辺りが一歩踏み出すたびに痛み出したこともあり、内心「こんなところに来るんじゃなかった」と思いながら、それでもゴールに決めたさいたま市役所に何とか辿り着き、そのまま何事もなく帰路に着いた。折り返し始めた時間が午前1時30分ごろであったが、流石に始発の時間になったら電車で家まで帰った。

こんな風に書いていると、非常に楽しくなさそうだな、と思われそうだが、痛みで辛かったこと以外を除けば、個人的には非常に楽しかった。知らない街や土地に行くことへの好奇心、ジャンルをごちゃ混ぜにしたお気に入りのプレイリスト、深夜という時間帯、若干暑いと感じる気温、昼間とはうってかわって雲が消えた夜空……。楽しいと感じた色々な要因があるが、何よりも自分のために時間を使えることが非常に楽しく感じられた。

仕事を始めてからは、ある程度は自由な時間を取れるものの、自分の満足がいくまで、というほど時間を自分のために消費できなくなった。やりたいことが増え続ける中で、やらなくてはいけないことがそれに取り組むのを阻み、それをこなして、やりたいことに向かえる数時間の自由時間が終われば、また床に着く日々。まだ就職して仕事を始めて3か月程度でこんなことを言うのは非常にダメなのかもしれないが、こんなことを続ける日々は、正直何も楽しくは無い。先輩方がおっしゃっていた「大学生の今のうちに遊んでおけ」という言葉の意味を、嚙みしめるばかり。もちろん楽しいこともあるが、それ以上に会社勤めという時間の束縛が、楽しさ以上の辛さで心を毎日上書きしていってしまう。

そんな風に鬱屈とした日々の中で、今回のような自分のために時間を大量に消費できる行為ができた、ということは非常に楽しく嬉しいことだと感じた。目的地を決めることも、どれくらい歩くのかも、何を聴くのかも、何を考えるのかも、すべてが自分次第であり、時間を消費するのも自分の望むが儘であった。歩きながら目的地を決めるのも、そもそも目的などなくただぶらりと歩くのも、何もかもが許されているという状態。大学時代に深夜散歩は幾度となく行ってきたが、これほどに楽しいこととは当時は思っていなかった。途中、スマホのメモに書き溜めていた文章を見ながら、自分の文章なのに笑ってしまったり考え込んだり、書き殴った(、というよりは打ち込んだ)歌詞の破片を見て、新しい歌詞やメロディーがふっと浮かんだりと、アイデアやインスピレーションなども湧いて出てきた。それが連鎖的に続き、平凡なものでも、思いつくだけで楽しくなっていく。

それから二日経って、今日この記事を書いているが、また深夜散歩に行きたいという欲が湧き上がっている。今度はどこへ行こうか、来週の天気は、という気持ちで計画を立てている。今のところ、来週末は雨が降るかもしれないらしいが、曇り程度であればぜひ深夜散歩にまた赴きたい。出来る事なら、1週間に2回は深夜散歩をやりたいが、それは多分叶わぬ夢だと思うので、高望みはせずに週に1度のタイミングで自分の欲望を解放したい。歳を取るに連れてできなくなっていくのだから、これくらいは贅沢しても良いだろう。