りーにえんしーの闇鍋ブログ

書いている本人もよくわかっていないブログです。

ねじれの終着点

実を言えば、自分はかなりのひねくれものである。褒められることではないだろうが。流行っているものに迎合せず、少し間を空けて触れてみたり、差し出された情報を信用せずに、情報収集をして裏を取ってみたり、といった風に、なんだか素直になれない部分があるのだ。あまのじゃくとも言うべきか。

おかげさまで思考回路もねじれつつある。一つのものごとへの考えが二転三転は当たり前、疑ってかかり訝しんで然り、妄想が暴走してどうしようもない状態になってしまう。役に立たぬことばかりを思い浮かべては、ドロドロとしたゲル状のまま思考を弾けさせる日々。重い頭の中で変ちくりんな言葉の羅列がカフェインの浮力でぷかぷかとしている。脳内のアンテナ兼見張り塔の上と下がねじれている。ぬぬぬ。

今の文章は置いておいて、こうしたねじれは、どこで巻き戻せるのだろうかなと、そんなことを考えずとも人生はいいものになるだろうといったことをついつい考えてしまう。ねじれが戻るタイミングは人生の折り返し地点かと思ったが、そんなの誰も予測できない。死の間際かもしれないし、ふとしたきっかけで戻り始めるのかもしれない。ねじれが戻った状態、つまり真っ新な状態がねじれの始まりでもあり、ねじれの終着点なのだ。その時には、今以上にものごとへ素直になれているんだろうか。らしからぬ姿ではあるが、誰も気にしないし、自分も気にしないなら別にいいのだろうな。

今回は我ながら駄文にもほどがあると思ってしまう。こんなことを思った経緯は「ひねくれもののねじれた心がぐるぐる回転してねじれを巻き戻し、寧ろ逆にねじれていったりしたらどうなるんだろう」というこれまた良くわからないことからの発展であった。未来の自分が見たら首をかしげる以外できないような発想だ。天才なのかヘンタイなのか分からないが、こうして日記ブログのネタに昇華出来たのだから、儲けものとしておこうかな。