りーにえんしーの闇鍋ブログ

書いている本人もよくわかっていないブログです。

SF

昨晩、BSの「ヒューマニエンス」という番組を見た。大まかな内容としては、「サイボーグ化」という主題に沿って、テクノロジーによって生来の欠陥を補うだけではなく、五体満足の人間以上に優れた能力を得られることができるといったことや、装置を介して心のはたらきや感情を操作するといったことが紹介されていた。

技術の発展はここまできたかという風な幼稚な感想しか出てこないものの、なかなか面白いと思って見ていたが、出演者の一人であるいとうせいこう氏が番組内でこんな感じのことを言っていた。

「技術が進化していくと、SF作家たちは大変でしょうね。想像力が追いつかないし、思いついてもすぐ実現してしまう。それでは仕事として成り立たないでしょうから、将来的にはSF作家という仕事は無くなるかもしれませんね」

近年の凄まじい技術の発展は、我々の暮らしを豊かにする一方で、我々から選択肢を奪いつつある。特に、AIの普及による仕事効率化と仕事の減少は声高に叫ばれている。運搬や製造といった単純作業だけではなく、ある程度の知識や経験を要するような専門職でも、AIに代替されるということも言われている。明確な名前を覚えてはいないが、ある音楽家風の曲だけではなく、自身が考えてオリジナルとして曲を作る作曲ソフトは既に存在しているし、人間と同等のプレイスキルを持った囲碁や将棋のロボットなども存在している。知見が狭いためこの程度しかわからないが、既に広範囲にわたって人間に代替するテクノロジーは分布しているだろう。

ここで、先ほどのいとうせいこう氏の発言に戻る。この状況で困るのは、SF作家なのではないか。これまで自身の想像力と世間の流れから未来を描き、作品を生み出すことを生業としていた彼らが、これからどのように未来を描けるのか。宇宙旅行も、未来社会も、タイムマシンも、データによる管理型社会も、空想のものではなく、技術が追いつき現実のものとなっている。単なる空想ではなく、科学的な空想だからこそ、SFは成り立つのであって、技術が想像に追いついてしまえば、アイデアに苦しめられることになる。既存の手法では廃れていて古いと一蹴されてしまうだろう。

人間的な力が必要な職業は無くならないとは言うが、心や感情を持ったロボットが出てくるかもしれない。将来的には、感情のこもった演技のできるロボット俳優が誕生するかもしれないし、表情豊かに歌い上げるロボットがオリコンチャートにランクインするかもしれない。技術という視点で見れば、どんな職業にも安泰は無いということか。

 

ここからは完全な余談だが、同番組内で紹介されていた内容で気になったのが、人工心臓によって心臓病による死亡を防げるかもしれない、ということが紹介されていたが、これに関する説明を聞いた際に、いくつかの疑問が浮かんだ。人工心臓を脳は従来通り心臓と認識するのか、脳の認知によっては機能不全になるのではないか、適切に血液を供給、循環させることができるのか……、などなど。調べれば解決するだろうから、暇な時にでも調べてみることにしよう。しかし、そういった危うげなものこそ高性能なAIなどの技術で管理できれば良いのにと思ったが、それでは人間としてのガワは必要なのだろうか、などとキリがないので、深く考えるのは辞めることにする。