りーにえんしーの闇鍋ブログ

書いている本人もよくわかっていないブログです。

怒ることについて

怒ることが苦手だ。怒られるのも苦手だが、よほど理不尽な理由ではない限り受け入れられる。しかし、怒ることは非常に苦手だ。なぜだろう。

考えられ得ることはいくつかある。一つ目は、怒ることへのメリットが思いつかないからだ。怒ることのメリットとはなんだろうと考えたが、怒りで内積したエネルギーを何かにぶつけ、壊すことに利用できることかと思ったが、それは漫画の世界でしかほとんどありえないし、現実的ではない。第一、それを生き物にぶつけてもどうしようもない。不用意に殺生することで自身に降りかかる自責の念や罪の方が大きいではないか。何とか捻出したメリットよりも簡単に思いつくデメリットの方が、個人的には多い。なので、怒りのメリットは無いに等しいようなものと思ってしまう。

二つ目は、怒りによって何かが改善したのを経験したことが無いからだ。よく、誰かが怒りや激情を込めた𠮟責を与えることでだらけた組織に喝を入れる場面がある。フィクションや一部の現実では効果があるのだろうが、僕はその効果を、実生活で目の当たりにしたことは無い。一度、僕もグループ内に怒りをこめた𠮟責をすることを経験した。中学校時代、合唱コンクールでクラスをまとめる役を務めたことがある。ある時、クラス全体がふざけ半分で練習に取り組んでいたことがあった。僕としては、和気あいあいとみんなが取り組んでいるならその方が雰囲気もいいと思っていたので、時折注意することもあったが、それくらいにとどめていた。しかし、担任の先生はそうしたイベントに熱い人ということもあり、そうしたふざけた雰囲気に怒りや苛立ちを感じたのか、みんなに厳しい𠮟責をした。すると、クラス全体の雰囲気が何となく雲がかったような暗いものになっていたのを感じ、不安になった。その日の練習後、担任の先生から僕からももっと怒るように言われ、渋々ながら翌日の練習時に一度だけ怒気を込めて注意したが、対して効果は無かったのを覚えている。恐らくこの時に、怒りに任せた𠮟責や注意は何の効果も及ぼさない、ということを悟った(ちなみにだが、注意やアドバイスをする際に、良かった点を挙げて、そのうえでもっとこうすれば良くなると思うことを伝えると、雰囲気も壊さず向上できる(かもしれない)ということも、この時に学んだ)。こうしたことから、無理に怒っても効果がほとんど無いということを学び、怒るだけ無駄、という考えに至り、そこから怒ることが減り、自然に怒ることが苦手になっていったのかもしれない。

三つ目は、環境の影響かもしれない(かもしれないとしたのは、先ほどよりも主観的な考えであり、明言できる要素が少ないからだ)。育ってきた環境を振り返ると、そもそも怒られることがあまりなかったし、怒られても何で怒っているのかをちゃんと説明されていたことがほとんどであった。なので、怒りの理由に納得ができていた。余談だが、この項目を書いている際に怒りと環境についての関係が気になり、調べたら、育った環境も怒りっぽくなることに影響を及ぼすそうだ(参考にさせていただいたサイト : 怒りっぽい人 (性格) になる原因とは?特徴や心理を知って直す方法 | For your LIFE (fumakilla.jp) )。記されていたことを参照した限りだと、僕は怒りっぽくなるような環境にはいなかった。そう考えると、環境も影響しているのかもしれないと思う(重ねて書くが、主観的かつ限られたソースを参考にして書いているので、明言はできない)。

上記のこと以外にも、怒ることはエネルギーを使用し、かなり疲れることという認識や、他社に対して怒りより感謝や申し訳なさを感じることの方が多い、ということも、怒りことが苦手だということに繋がっているかもしれない。

とまあ怒ることが苦手な理由について何となく書き連ねていったが、一番は怒るより笑う時が多いからかもしれない。アンガーマネジメントというわけではないが、笑ってるときに怒りはそうそう湧いてこないし(中には、怒るときに笑う人もいるらしいが)、馬鹿笑いしている方が人生トクしそうだからだ。

こういうと変だが、願わくば、このまま怒るのが苦手な人生を歩んでいきたいものだ。