りーにえんしーの闇鍋ブログ

書いている本人もよくわかっていないブログです。

趣味と器用さ

趣味が多いと、我ながら思う。ゲーム、読書、楽器、音楽鑑賞、作曲(まだ未熟)、イラスト、物書き、筋トレ、サイクリング、散歩、妄想、バーや喫茶店の開拓……と、挙げたらキリがない。

しかしながら、これだけある中の趣味を専門的に学び、仕事や自己研鑽に発展させようとは思わない。それをしてしまうと、趣味として成り立っていたものが趣味では無くなるためというのもあるし、趣味という領域にとどまっているからこそ、楽しめているのだと感じているからだ。

少し前までは、むしろ趣味を仕事に出来ればどれだけ楽しいか、とよく考えたものだったが、最近はそう考えることは少ない。ゲームを仕事にするとなると、観客を惹きつける話術や巧みなプレイスキルを身に付ける必要があるし、読書を仕事にするとなると、より多くのジャンルを読み、それについて評論や感想を記さなくてはいけなくなる。

こうした「趣味を仕事にする」際において重要なことが抜け落ちていたために、趣味を仕事に出来れば、と考えていたのかもしれない。仕事となると、ある程度惹きつけるための要素が必要になってくる。冷静に考えれば、それは自分の性文に合わない。自分の中で趣味は「自己満足」が殆どなのだ。

器用貧乏ということわざがある。「 器用でなんでもこなすことができるがゆえに、どれも中途半端になって大成しないこと 」という意味だ。僕の趣味というものは、これにすら当てはまらない。「不器用なくせに趣味を多く持ちたがるうえ、それ以上に昇華することもできない」というものだ。さしずめ、「不器用貧乏」といったところだ。

しかし、不器用貧乏ながら趣味を(自己満足とはいえ)楽しめているので、それはそれで良いのかもしれない。次はどういったものが僕の興味に引っかかり、趣味になるのだろうか。

…実は、趣味を考えることが趣味だったりして。