りーにえんしーの闇鍋ブログ

書いている本人もよくわかっていないブログです。

徒然なるまま日記

2023年3月19日(日) 曇りのち晴れ

 

母親と某デパートに行き、スーツを購入。うっすらと縦縞が入っていたスーツが良いなと思ったが、サイズが合わずあえなく断念。が、似たようなスーツを見つけたので、それを購入。概ね満足。試着のたびに、スーツは良いなぁと感じた。

 

正午過ぎに両親と親戚宅に挨拶回り。移動中、「𣗄代(たらのきだい)」という地名が書かれた看板を見つける。読み方は知っていたが、漢字表記に引っかかり、軽く調べてみたところ、「𣗄」という漢字はこの地名でしか使われていない漢字らしい。大雑把というか、おおらかというか、贅沢というか、寧ろケチというか……、といった気持ちになった。

 

本日から小松左京氏の『果しなき流れの果に』を読み始め、大体半分くらいまで読み進めた。以前から小松左京氏の名前は知っていたものの、今までに手に取ることはなかったので、何となくで読んでみたが、とても面白く、噛り付くように読み進めていた。話の構成や展開もさることながら、作品の中に数多く散りばめられている、渾然一体となった幅広い学問知識に感心と驚きの連続であった。

同作品の中で、宇宙人が登場するシーンに差し掛かり、その部分を読んでいるうちに、ある疑問が浮かんだ。地球外生命体の最上位的存在として「宇宙人」が挙げられるが、存在するかも分からない、未だ誰も見たことがない地球外生命体の、その最上位が、「宇宙人」という「人型の生命体」という確証、どうして持てるのだろう。「人型」でないと最上位には君臨できぬと誰が決めつけたのだ。スライムのようなゲル状の生命体でも、知能が獲得できないはずはないし、地球の人類たちが構築してきた高度な文明に負けず劣らずの文明を創り上げられるかもしれないではないか。いかなる環境でも「人型の生命体」が最上位に存在するというのは、地球に「だけ」生息する(かもしれない)人類の思い上がりではないか?

仮に地球外生命体にも神がいて、まさか、その姿が地球の神々と全く同じ、ということはあるまい。これを書いている時に、旧約聖書の「神は自分の姿に似せて人間を作った」という文章を思い出すが、うまくまとまらないのであまり触れない。作品に関しては、とりあえず今月中には読み終えたい。

 

Twitterでも呟いたが、lo-fiな音楽をぼーっと聴いていた時に、低音が耳から足先にかけて、じ~~ん、と身体に沁み渡っていくのを感じて、心地よかった。この心地よさは、狙ったり待ったりして獲得できるものではない。全身は程よく脱力しつつ、しかし、脳には機微には気付くことのできる冴えが必要だ。ふっとやってくるものを、力んだように意識して捕まえようとするのではなく、眼前にやってきて初めて気付き、そっと包むようにしてこそ、獲得できる、ような気がする。

……と、大層にも上記のようなことを感じた際には考えたものだが、今思えば寒さからくる震えだったのかもしれない。

 

笑点』を視聴。話だったりこのブログの記事にオチを付けたがるのは、昔から笑点大喜利をみていた名残なのかもしれない。

 

夕食。メニューは父親お手製のボンゴレロッソ(恐らく)。帰省して父親が作る料理を見るたびに、父親並みに料理に熱量を注いだことは無いな~と毎度思う。

 

風呂から上がり、やることも無いので、手すさび的にこの記事を執筆。

 

明日以降も執筆するかは、不明である。