りーにえんしーの闇鍋ブログ

書いている本人もよくわかっていないブログです。

目が覚めると

たまに、自分は何になりたいのだろうかということを考えてしまう。恐らく多趣味ということや、属している集団の多数化と立ち位置の不定化による帰属意識の曖昧化などということから、こんなことを考えてしまうのだろうなと思う。多く何かを持つのは楽しいものの、内部ではじわじわと自意識が蝕まれているようである。精神力が弱いだけかもしれないが。

何になりたい、ではなく、何になっている、ということもあるかもしれない。望む望まぬの意志に反して、気がつくと何かに変身・変化しているという風に。カフカの「変身」でグレゴール・ザムザが朝目が覚めると虫になっていたように、目が覚めると何かに変化しているかもしれない。その姿は人ならざる者か、人型の何かか、人間のままか。見た目が変化するのではなく、自由になるといった精神的な変身・変化もあるな。

こうした変身願望や変化のことを考えると、昔、父親の車に揺られてドライブを楽しんでいた時に、金城綾乃の「本当は何になりたいんだろう」という曲が流れていたことを思い出す。たしか天才てれびくん内で流れていた曲だったはずだ(天てれオリジナルの曲であるかもしれない)。今でも覚えているが、その曲の中にはこんな歌詞があった。

 

目が覚めるとアリンコだった
目が覚めるとカエルだった
目が覚めると青虫だった
毎日が早すぎる

本当は何になりたいんだろう
本当は何になりたいんだろう
本当は何になりたいんだろう
本当は何になりたいんだろう
 
今になってこの歌詞を見ると、なんとも摩訶不思議だなぁと思う一方で、こんな風に目が覚めるたびに姿形を変えて、その都度、姿形ごとの生き方や楽しさを見出し、それでも満足ゆくわけではなく「本当は何になりたいんだろう」と模索を繰り返すように思えてきて、切なさを感じる。自分の置かれている状況を考えると、どこか重なる感じがして、なおさら。
 
こんなことを相変わらずぼーっと考えていたら、だんだんとまぶたが重くなってきた。今日はもう寝るか。目が覚めてからでも、それで姿形が変わっていたとしても、本当は何になりたいのかということは考えられるのだから。