りーにえんしーの闇鍋ブログ

書いている本人もよくわかっていないブログです。

安堵と後悔

安堵と後悔。この二つが同時にやってくることはそうそうない。多くが、どちらかがやってきたあとにもう一方がやってくるものだ。その場合、安堵の方が先にくるのではないだろうか。嫌だったバイト先を辞めて数か月後、何故か漫然と元バイト先への後悔の念が湧いたり、時間ぎりぎりになって乱雑な内容のレポートを提出し、ほっとするも、数日後にはもっといいものが書けただろうに、と過去の自分を悔んだりというパターンはよく体験する。恐らく人間にはそういうシステムがあるんだろう。「後悔先に立たず」とはよく言ったものである。

僕も安堵と後悔の体験者の一人だ。僕は大学入学当初、ある軽音サークルに所属していた。当時の僕は、楽器も何も弾けないけど、歌えるからなんとかなるだろうという、今思えばカラオケでも行ってろよという頭の持ち主であった。サークルの体験会に行った際、異常なドーパミンやら幸福作用が出ていたのか、それともライブというものに触れていなかったからなのか、興奮冷めやらぬまま翌日の授業に出席した。その日の授業は少しテンションが高かった。

で、その軽音サークルに所属し始めた訳だが、最初こそ楽しかったものの、次第に溢れ出し始めた課題に追われ、それを優先したためか、日々の練習が追いつかず、悶々としていた。また、サークル内の雰囲気は和やかで良かったものの、食事会や飲み会が多かったのが、個人的には痛手であった。当時はまだバイトもしていない頃で、仕送りでやりくりしていた身としては、なかなか厳しかった。他にも、同期がガンガンカッコいいリフやフレーズを弾いているのが、羨望と嫉妬でしかなかった。それが余計自分の練習に悪影響を及ぼした(当時はこんな身勝手と自己都合ばかりだった。今もそのフシがある。早く抜け出したいものだ)。こうしたストレスが真綿で首を絞めるがごとく、じわじわと、しかし確実に精神を汚染していった。

それが積み重なった結果、好きだった音楽や買ったばかりのストラトキャスターに嫌悪感を抱き始めた。思い返せば、頭を使えばストレスコーピングできる箇所はあったのだろうが、それができずにいたし、やろうとも思えなかった。それくらい蝕まれていたのかもしれない。その勢いで、幸福を与えてくれたはずの軽音サークルも辞めてしまった。わずか数か月だった。サークルを辞める連絡をした直後に聴いた真心ブラザーズの「明日はどっちだ!」という曲が、なんだか妙に虚しかった。

音楽から離れて半年が経ったころには、サークルのことも忘れ、音楽への嫌悪感も薄れ、また音楽をやりたいと思い始めた。置き去りにしていたストラトキャスターをまた手にした。コードチェンジどころか、弦交換すらおぼつかない自分だったが、何故だか弾いていて楽しかった。へたくそでも気にしなかった。テレキャスターも買った。また音楽が好きになっていることを自覚し、ほっとした。この時に、件の安堵がやってきていた。

それから今に至るわけだが、最近になって後悔が押し寄せているのをひしと感じる。素直に音楽が好きになれた今なら、辞めてしまった軽音サークルでも楽しく活動できるかもしれない。……しかし、それには遅すぎた。今更戻れるはずもなく、ただ残りの大学生活の時間は、切磋琢磨し合い、成長できる他己満足の音楽には使えない。楽しいが自己満足の音楽にだけ浸るばかりだ。そう考えると、いつもいつも後悔を覚えるのである。

今年も夏がやってくる。その時にまた、あの辞めた日のことが脳裏にフラッシュバックするだろう。未来では音楽を楽しんでいることを、あの時の自分が蝕まれていた中で一握りでも望んでいたとしたら、未来にいる今の自分は、せめてその期待に応えようと、またおぼつかない手でギターを弾いて、歌ってやるのだ。