りーにえんしーの闇鍋ブログ

書いている本人もよくわかっていないブログです。

恐怖

 僕はライブに行くのが、あまり好きではなかった。お金や距離の面、面倒くさいなという自堕落性もあるが、舞台に立つミュージシャンの生を感じてしまうのが、何だか怖くて仕方なかった。個人的には、それがライブを好きにはなれなかった大きな要因だった。

 有名なミュージシャンであればあるほど、そうした恐怖は感じる。一種のあこがれのようなものを画面越しで感じていたことが殆どであったから、いざ目にすると、それが一気に打ち砕けるんじゃないかという、訳の分からない恐怖。それに怯えているような気がする。

 今でこそこうした気持ちは薄れているが、大好きなミュージシャンのライブには、多分この先も行かないような気がする。この気持ちや指針のままでいると、10年後辺りにはきっと後悔しているんだろうなぁ。そうは思いながらも、多分行かない気がする。

 ちなみに、ストリートのミュージシャンや、初めて見聞きするミュージシャンたちの演奏を外やイベントで見る時にはそうした恐怖は無く、むしろ積極的に足を止めて聴いてしまう。なんなんだろう。

アプリケーション

 昨日は、研修課題として開発したアプリケーションの発表会があった。幾人かは自分の想像もしなかった処理や機能を実装しているアプリケーションを開発しており、発表を聞いていて感心するばかりであった。自分が作ったものは、教材やネット上にあった既存のコードを、何とか動作するようにつなぎ合わせた、まさしくツギハギを体現したようなアプリケーションであったので、幾人の作品と比べるのもおこがましいものであった。

 この業界に入って言うのもアレだが、正直な話、僕はアプリケーション開発には不向きだと思う。開発言語に関する教材を見ても理解できることは多くないし、コードだって書き写しだし、その中身や書く理由、必要性はさっぱり説明できない。入社前は「面白そう」と思ったものの、やってみて少しずつ嫌気が差し始めている。見切りはいずれつける必要があるかもしれない、とも思っている。

 ただ、作っていて楽しいと感じたのはある。訳の分からないままにコードを羅列して、それでも思った通りに動いてくれるのを見ると、愛着や機能の拡張を行いたいという欲望が出てくる。制作過程を見ると、作品としては劣っているかもしれないが、自分の手で作ったという喜びは湧き上がってくるものだ。加えて、「コードの意味を理解すればもっと面白いだろうなぁ」という気持ちも少しずつ芽生えている。単純なだけかもしれないが、実際理解すれば楽しいし効率も上がる気はする。その点で言えば、勉強してみようかなという気持ちにもなる。

 変な締め方になるが、昨日はなんだかんだで僕は何かを作るのがやはり好きなんだなぁと再確認した日になった。6月最後の日だった。

本格的に

 本格的に、買い貯めてある本を読みたい。というより、読まなければならない。本としての役目を彼らに果たしてもらわなければならない。

 しかし残念なことに、文庫本の一部は、既にマウスパッドになってしまっている(※ちなみにこの記事を書いている時は、『吾輩は猫である』を使用していた)。

だからわずかに非凡にもなれない

先ほど書いた記事や過去の記事を見返して思うのだが、「素敵な」「楽しい」「すごい」「素晴らしい」「とても」などを多用し、あまりにも語彙力が無いと、我ながら反省する。

上記に挙げた言葉の代わりになる言葉を知って、適切に使うことがほんのわずかでも可能ならば、わずかだが非凡的だと思えるのだが、いかんせんそこにたどり着くことが出来ない。無理に非凡的であれ、というわけではないのかもしれないが、非凡的なものに取り組むことで成長できるのではないかと思ってしまう性文なので、無い知恵を絞って非凡性を持たせようとしてしまっている。この努力が空回りでなければ良いのだが。

語彙力に関しては、もっと情報に触れるべきなのかもしれない。時間を見つけて、本やニュースを見ようかな。

差異

今の日付で書くと非常に分かりにくいのだが、先々週くらいだろうか、リアル、Twitter上ともに交流させていただいている方からお誘いを受けて、あるイベントに参加してきた。イベントの内容としては、音楽とご飯(肉がメインだった)を楽しむ会というもので、主催の方が買って来る食材に加えて、各々が食べたいものや飲みたいものを持ち寄ってご飯を食べながら、音楽も楽しむという、非常に素敵なものであった。また参加したいものである。

話の本題はこれではないので、閑話休題。イベントの後半で、参加者の方々が持ってきた楽器を演奏する時間になった。1人が演奏をはじめ、それに全員が耳を傾けることもあれば、1人が演奏しているところに別の誰かが参加し、また別の誰かが音色を重ねていく、というジャムセッションが始まることもあり、楽器の腕が未成熟な自分にとっては楽しさと感動の時間であった。

途中、知っている曲がいくつか演奏されてきたので、最初は鼻歌でそのジャムに参加していたが、お酒も相まってか、普通に歌ってしまった。その時に、参加者の方から「歌、お上手ですね!」と言われ、他の方々からもお褒めの言葉をいただき、とても嬉しかった。

しかし、いつも思うのは、自分の歌声が本当に他人に「良い」と思われているのか、ということである。ひねくれた発想だと思われそうだが、誰かがいる場所で歌うと、このことを毎度思ってしまう。というのも、自分の歌声を録音したものを聴くと、どうしても「変な声だな」と感じてしまい、他人が聴く自分の歌声は、こんな風に変な感じで伝わっているのでは、と発想するからである。

録音された歌声と歌っている時に聴こえる歌声には、差異が出てくるというのはよく知られている話だが、自分が変と感じた声がそのまま誰かに伝わっていると考えると、果たして今気持ちよく歌っている自分の歌声が、誰かは本当に「いい声」と思って聴いてくれているだろうか、と考えてしまい、少し気分が下がってしまう。まぁ録音して声を聴き込んで差異に慣れたり、もっと自信をもって歌ったりすればよいのだろうが。

どうも、歌や歌声の話になると、こうしたことを考え込んでしまう。ちょっとかじっていただけだというのに、我ながら厄介である。身も蓋もないが、歌くらい好きに歌えばいいのにね。…そんな風に気楽に人前で歌えればいいのにね。

可処分時間

一昨日、久しぶりに深夜散歩をした。

特に意味もなく、目的地も決めず、気の向くままに何処かに行こう、というノリで深夜散歩には行っている。今回は久しぶり、というより久しぶり過ぎたからなのか、その時の自分の中に変なノリがあったからなのか、当初は池袋か、それよりも少し先にあるところ程度までにしようと思っていたのだが、どうしてかさいたま市まで行ってしまった。Google先生曰く、家からさいたま市までは片道28kmらしい。

これだけ長距離を歩いたのは本当に久しぶり、ということもあって、通常よりも早い段階で足に痛みがやってきた。しかも、普段の散歩やウォーキングでも痛むことの無い股関節辺りが一歩踏み出すたびに痛み出したこともあり、内心「こんなところに来るんじゃなかった」と思いながら、それでもゴールに決めたさいたま市役所に何とか辿り着き、そのまま何事もなく帰路に着いた。折り返し始めた時間が午前1時30分ごろであったが、流石に始発の時間になったら電車で家まで帰った。

こんな風に書いていると、非常に楽しくなさそうだな、と思われそうだが、痛みで辛かったこと以外を除けば、個人的には非常に楽しかった。知らない街や土地に行くことへの好奇心、ジャンルをごちゃ混ぜにしたお気に入りのプレイリスト、深夜という時間帯、若干暑いと感じる気温、昼間とはうってかわって雲が消えた夜空……。楽しいと感じた色々な要因があるが、何よりも自分のために時間を使えることが非常に楽しく感じられた。

仕事を始めてからは、ある程度は自由な時間を取れるものの、自分の満足がいくまで、というほど時間を自分のために消費できなくなった。やりたいことが増え続ける中で、やらなくてはいけないことがそれに取り組むのを阻み、それをこなして、やりたいことに向かえる数時間の自由時間が終われば、また床に着く日々。まだ就職して仕事を始めて3か月程度でこんなことを言うのは非常にダメなのかもしれないが、こんなことを続ける日々は、正直何も楽しくは無い。先輩方がおっしゃっていた「大学生の今のうちに遊んでおけ」という言葉の意味を、嚙みしめるばかり。もちろん楽しいこともあるが、それ以上に会社勤めという時間の束縛が、楽しさ以上の辛さで心を毎日上書きしていってしまう。

そんな風に鬱屈とした日々の中で、今回のような自分のために時間を大量に消費できる行為ができた、ということは非常に楽しく嬉しいことだと感じた。目的地を決めることも、どれくらい歩くのかも、何を聴くのかも、何を考えるのかも、すべてが自分次第であり、時間を消費するのも自分の望むが儘であった。歩きながら目的地を決めるのも、そもそも目的などなくただぶらりと歩くのも、何もかもが許されているという状態。大学時代に深夜散歩は幾度となく行ってきたが、これほどに楽しいこととは当時は思っていなかった。途中、スマホのメモに書き溜めていた文章を見ながら、自分の文章なのに笑ってしまったり考え込んだり、書き殴った(、というよりは打ち込んだ)歌詞の破片を見て、新しい歌詞やメロディーがふっと浮かんだりと、アイデアやインスピレーションなども湧いて出てきた。それが連鎖的に続き、平凡なものでも、思いつくだけで楽しくなっていく。

それから二日経って、今日この記事を書いているが、また深夜散歩に行きたいという欲が湧き上がっている。今度はどこへ行こうか、来週の天気は、という気持ちで計画を立てている。今のところ、来週末は雨が降るかもしれないらしいが、曇り程度であればぜひ深夜散歩にまた赴きたい。出来る事なら、1週間に2回は深夜散歩をやりたいが、それは多分叶わぬ夢だと思うので、高望みはせずに週に1度のタイミングで自分の欲望を解放したい。歳を取るに連れてできなくなっていくのだから、これくらいは贅沢しても良いだろう。