りーにえんしーの闇鍋ブログ

書いている本人もよくわかっていないブログです。

お笑いの種類についての、個人的な知識と妄想をもとにした考察

甚だ唐突ではあるが、皆様は日頃どれくらい笑っているだろうか。別に、人生に嫌気が差してこんな質問をしたわけではない。いつものように僕の頭に浮かんでくる単純な疑問である。僕自身、日頃から少なくとも20回は笑っているような気がする。ツボがかなり浅いというのもあるが、笑っていると楽しいからである。以前に書いた記事で、怒ることが苦手であり、それよりかは笑っていた方が楽しいものであると書いたが、全くその通りであると思う。「笑う門には福来る」とはよく言ったもので、笑っているだけで自然と謎の多幸感がやってくるような気がするのだ。なんだか「笑うこと=素晴らしい=宗教」的な感じになりそうであるので、過剰な誇張は辞めにしておこう。とはいえ、笑いの効果は侮れないのは確かだ。実際、ガン患者の方が寄席やお笑いライブに行って思い切り笑った結果、ガンの症状がある程度緩和されたという話がある。ソースは添えておくが、これが確かということではないので、気になったら各自で調べて頂きたい(参考にさせていただいた記事 「笑い」でがんへの免疫力向上 大阪の医療機関が発表:朝日新聞デジタル (asahi.com) )。

そんな笑いにはいくつか種類があり、今回のテーマとなるのはバラエティー番組で芸人やタレントの方がやっている「お笑い」である。ベクトルが少し違うかもしれないが、ご了承いただきたい(では書き出しをもう少し整えなさい、という話なのだが)。また、個人的な意見や知識を基に書いている部分も多分に含まれているので、一個人の頭の中をのぞくような感覚で見て頂ければ幸いである。

この「お笑い」にはいくつか種類があるように思う。そのうち、自分が今のところ思いついていることについて、適当に書き連ねていく。

一つ目は、「予想外であること」だ。そもそもの話、笑いにしろ驚きにしろ、感情が表出するには予想外のことが必要であると思う。世界に自分が予想していたこととはまったく違うことや想定外のことが現れた時、初めて人は感情を生み出す。投げたボールが犬に咥えられそのまま走り去られたり、車を運転していた時に死角から人が飛び出してきたり、意味の分からない服装でただ喚き散らす者が現れたり、何気なく付けたテレビで凶悪犯罪を知ったり……といった風に、自分がいる世界に予想外のことがやってくることで、感情が生まれ、そこから喜怒哀楽に分化されていくように思う。その分化の過程で、笑いに昇華される場合もある、ということではないのだろうか。

二つ目は、「予想内であること」だ。一見すると一つ目の考えと矛盾しているように思うが、笑いには「お約束」や「天丼」という決まりごとがある。「お約束」というのは、発端から特定のオチがつくまでの道筋のようなものだ。「天丼」というのは、同じボケや笑いの流れを何度も繰り返すことで、笑いを誘うことを指す。こちらは一つ目とは違い、あらかじめその笑い(や笑いの流れ)を知っているという前提が必要である。一つ目の笑いが予測不能ゆえに全員に受ける(かもしれない)笑いである一方で、こちらは笑いまでの流れを知っている人でないと受けない笑いという違いがある。

おそらくはこの二つとはまた異なったタイプのお笑いもあるのだろうが(理不尽さによる笑いなど)、あまり膨らみそうにないので今回はこれで終わりにしておく。それで、普段のお笑いは一つ目と二つ目のどちらの場合が多いかと考えたら、個人的には一つ目の方が多いように思う。前述したように、予想できるお笑いというものは流れを知らなくてはいけない。そのためには受け手もネタや流れをある程度理解する必要がある。そうした積み重ねていくものより、一つ目のように瞬発的に見て笑えるものの方が、笑いの経験としては多いように思う。

そう考えると、お笑いの業界でも一発屋という文化が生まれ、根付いたのも納得できる話である。……と、笑えないオチを持ってきたところで、今回の内容は締めさせていただく(念押しするが、内容の殆どが自分の知識と妄想なので、その点はご了承いただきたいということを最後に改めて述べさせていただく)。