りーにえんしーの闇鍋ブログ

書いている本人もよくわかっていないブログです。

日々思うことなど その5

 昨日、友人たちと徹夜で遊んだので少し疲れが残っている。なので今日はお手軽企画のこのシリーズで埋め合わせをしようと思う。

  • 書き出しにも書いたが、昨日は友人たちと徹夜で遊んだ。主にゲームで遊んだのだが、プレイしたゲームのうちに『漢字でGOGO!』というゲームがある。これは漢字の「書き取り」を問う形式のゲームで、TV番組『ネプリーグ』の「ファイブツアーズバギー」と似た(ほぼ同じ)内容のゲームである。友人の一人が書き取り担当、それ以外が漢字の特徴や用法を伝える、というスタイルで遊んだのだが、漢字の特徴を伝えるのがいたく難しかった。部首は何か、他にこの漢字が含まれている、熟語の用法はこういうので、などと伝えることが多いうえ、自分が知っている形式で伝えてしまうので、うまく伝わらないことが結構あった。漢字って伝えるのは難しいのだな、と実感した。
  • 上に付随して、自分は漢字を「なんとなく」で覚えるようになってしまったのだ、とも実感した。『漢字でGOGO!』に出てきた「殆ど」、「司る」、「戦艦」、「崇める」などの漢字は必ず見てきたはずなのだが、どうしてか思い出せなかったり、誤って覚えていた内容を伝えたりしていた。時間制限の中で思い出そうとするから、焦って余計思い出せないというのはあるのだろうが、それにしたって見たことあるだろう、とも思ってしまう。仕事や日常で「書くこと」が減ったこともあるのかな。
  • 新宿にある紀伊国屋書店へ、入り浸ることが増えた。入店するたびに、取り扱っている書籍の多さに圧倒される。今回は上田信治さんの『成分表』、『成分表 偽マキロン・悲しみについて』と木下龍也さんの『日記の舌』という本を購入。前者はYouTubeで大久保八億さんという芸人の方が紹介している動画を見て、「おぉ...」と思い欲しくなった。後者はなんとなく惹かれる内容だったので購入。Xで木下さんについて検索すると、つい最近投稿にいいね!をしていた方だったと知る。ある種の運命かもしれない。
  • 数ヶ月前に友人が結婚し、今月結婚式を開く。それに招待されたので色々準備している。冠婚葬祭の服装やお祝儀袋などの用意、ホテルや新幹線やら取らなくては、などと慌ただしい。特に結婚式での作法や服装など、生まれてこの方聞いたこともないので、内心ひどく慌てふためいている。その思いのまま式の日程が近づいてくる日々。当日はいい式になりますように...。
  • 形容し難い疲れが積もり続けている。これまでに書いてきたことたちがそれぞれ一因となって僕の体の手や足、頭や胃袋などにしがみつき、疲れとなっているような感覚。それでも何かやらねばと、YouTube用に弾き語りを撮ろうとしたのだが、あまりいい演奏ができず断念。本を読もうと本を手に取っても、数十ページ読んで眠くなる。この疲れは完全には取りきれないだろうな、という自信がある。
  • 上に付随し、ここ最近音楽への熱が冷めつつあるような感覚を覚えている。なぜだろう。弾き語りをしたりギターを弾いたりしても、どうも内側からの熱を感じない。「やらねば」という気持ちが空回りしているのだろうか。疲れているだけで納得ができるパフォーマンスができていないのだろうか。どちらにせよ、一過性のものであってほしい。
  • ギターのエフェクターについて。ここ最近気になっているのはXotic SP Compressor, Z.vex Fuzz Factory, Boss SL-2, Boss AW-3, Behringer 69 VIBE, MXR Uni-Vibeなど。Uni-Vibe系が特に気になっている。フェイザーやフランジャー、コーラスとはまた違うユレモノの感覚を体が求めている。
  • 仕事は暇すぎても良くないなと思う。先日、割り振られたタスクを終えて手が空いたのだが、その後の作業について「これを進めておいて」と言われることもなく就業時間を過ごした。他の方の作業を手伝えばいいのでは、と思われるかもしれないが、今の作業では機能ごとに担当している方が違うので、他の方の作業のサポートをする場合、その機能について一から把握する必要がある。覚えながらサポートする、と言うのは二度手間、というより本末転倒だ。なので、何もできないのだ。おかげで暇な時間中、作業に関する資料を半分ほど読んでしまった。それくらい暇であった。
  • コメダ珈琲でモーニングを食べていたとき、隣席の方が大きめのドリンクとモーニングのパンを食べているのを見る。しばらくした後、その方が追加オーダーで『網焼きチキンサンド』を注文していた。結構食べる人なのかしら、と思っていたが、持ち帰り用の容器を店員さんに貰っているのを見て、なぜかホッとする。
  • 永井玲衣さんの『さみしくてごめん』を読了。永井さんの書く文章には、自分が抱える疑問と似通った箇所がいくつもあり、共感を覚えながら読み進められる。その疑問をさらに深いところまで、そして透明度を高くして文章へと書き起こしているので、言葉の組み立て方、筋道の立て方、随所に散りばめられた生活風景の描写などが上手な方だ、と思う(何様なのだ)。書き手として、非常に参考になる。

 今回は少し暗めのことも混じっている。よほどの危険思想や有害な誇大妄想だと判断しない限り、除外するつもりはない。それが人間として自然な在り方なので。思うことにすら選別をかけていたら、それは果たして自然な人間と言えるのだろうか。と、こう書いたが、会社や組織では思うことを殺し、選別した考えのみを発することもあるな。その時人間は、自然的でなく、人工的なものになるのだろうか。